春野町の秋葉山(885m)の「秋葉山表参道」は既に一度紹介していますが、最も身近なウォーキングコースであり、訪れる度に新たな発見があったり、季節や天候によって見える景色も変わってくることから、これからも度々取り上げさせてもらいます。
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当日スタート地点となる「秋葉山表参道駐車場」に到着した際は、霧がかかって視界が悪く、意気揚々にという感じにはなりませんでした。
しかし、準備をしている間に視界も開け、これなら大丈夫と出発しました。
今回は、NPO法人秋葉街道ツーリズムが発行する「表参道を往く 秋葉街道」という小冊子を資料にお伝えします。(道の駅などで300円で購入可能)
駐車場を出て左、最初の分岐点に東海自然歩道の道標があります。
表参道は東海自然歩道も兼ねています。
秋葉山山頂の秋葉神社上社まで4.2km、120分と書かれています。
これはあくまで目安です。
私などは歩くのが遅いので2時間は毎回超えています。
ハイキングはトレランとは違うので時間を競い合ったり気にするのは馬鹿げていると思います。
ゆっくり歩くからこそ発見できることも多くあるのです。
それも山歩きの楽しみなのです。
今回は、参道の道標として一定距離毎(1町=109m)に建てられた「町石・丁石(ちょういし)」や、かって夜の参拝時に灯りを照らしていたという「常夜灯」などを紹介していこうと思います。
上り坂の始点となる、赤色が印象的な「九里橋」の手前にあるのは、神社と名が入っています。
これは町石とは違うようで、町石には「金」や「傘」に似た字が刻まれています。
資料によると、現在残っているのは9基(3・4・5・6・13・14・18・19・20)ということで、順に見せていこうと思います。
「第三町」は、九里橋から東屋のある休憩所まで上がる石畳の急坂の上方、道の右側にあります。
「第四町」は、東屋から左に曲がって民家裏の階段につながる石畳の坂道の途中、道の左側、常夜灯と並んでいます。
「第五町」も存在するそうなのですが、撮影もれのようです。
(※ 下記記事で確認しました)
秋葉寺の「秋葉三尺坊大権現出現霊場」の大きな案内板、とりわけ大きな常夜灯がある所が「5町目」であり、「三の鳥居跡」にもなっています。
この地点は「海抜160米」、秋葉神社上社まで3.6km、115分です。
最初の分岐点からここまで、わずか5分で歩くのは相当大変だと思います。
のんびりいきましょう。
少し鳥居の話で脱線します。
「第三の鳥居」と聞けば、始めの第一・第二があり、続きの第四・第五もあると思いますよね。
その通りなのです。
現在の秋葉山表参道では、この第三の鳥居が最初の鳥居なのですが、昔は東海道の浜松田町が参道の起点で、そこが「一の鳥居」、そして「二の鳥居」は、浜松健康院の近く、浜北区小松(二俣街道・小松東町交差点)にあるのです。
これも何かの縁でしょうか!
(※ 浜松健康院はH18に高丘西へ移転しました)
「第六町」に戻ります。
「第十三町」目は「もみじ茶屋跡」で、その手前にある常夜灯が、天竜川の治水で知られる金原明善の父が建てたと説明されています。
町石自体はわかりませんので、次回しっかり見てきます。
(※ 下記記事で確認しました)
「第十四町」のものは形状も違い、かなり古いものと思われます。
「第十八町」は「十八丁茶屋」があった場所です。
当時は茶屋がたくさんあり、茶屋のある場所は傾斜がなく緩やかな場所で、今も休憩場所に適しています。
常夜灯の左にある仏石の背面に十八町目と刻まれているそうです。
これも次回確認しなくては。
十四町目の町石と共に、最も古いものだそうです。
「第十九町」となる場所は、町石ではなく常夜灯がありました。
最後の残っている町石、「第二十町」は「富士見茶屋跡」前にあるものだと思った(画像左下)のですが、富士見茶屋は第二十八町に当たる建物です。
また、現地にある説明板では第三十町目と書かれています。
このあたり、よくわかりません。
(※ 資料によると、さくら茶屋も富士見茶屋と呼ばれていたことがあるとか)
富士見茶屋跡の少し手前には「さくら茶屋跡」があります。
また、少し過ぎた地点では、秋葉神社上社まで残り2.1km、55分との道標があります。
ここが中間地点と考えて良いですね。
すぐに「四の鳥居跡」(三十町目)を通過します。
その間、木々の間から幻想的な雲海が見えました。
「子安地蔵尊」(三十二町目)を過ぎると富士山展望のできる休憩所(三十三町目)で、海抜580米です。
雲海と富士山の画像をお楽しみください。
電線が入るのはこの地点に鉄塔が建っているためです。
「信玄岩」(三十七町目)を過ぎると、秋葉山表参道で唯一の短い下り坂があり、尾根沿いの道が再び上りに入ります。
左右は切り立った谷になっていて、左側が「権現谷」、右側が「信玄谷」となっています。
秋葉寺まで続く坂道は「土佐(阿波)坂」で、土佐の殿様が参拝の折、旧道が急坂の為に現在の参道に替えたものです。
わかりにくいかもしれませんが、中央の木の左側に踏み跡があるのが今回ははっきりわかったので、旧道の土佐坂に挑戦してみました。
殿様が嫌がったのがよーくわかる程の急登を赤テープと踏み跡を探しながら上り、右側にトレースしていく形で進むとバリケードがありました。
それを右に巻いて進むと、右側に現在の参道、前方に秋葉寺(第五十町目)の山門(第四十九町目)が見えてきました。
草木が覆い茂る時期はちょっと侵入をためらうような旧道ですが、今の時期なら何とか通過できると思います。
「五の鳥居跡」を過ぎれば、秋葉神社はもうすぐそこ、最後のがんばりどころです。
お気づきの方もいるかもしれませんが、「秋葉寺」「秋葉神社」の画像は少なくしています。
それらは他サイトでいくらでも見ることができるからです。
できるだけ違った視点で紹介していきたいと思っています。
特に展望画像は、気候によりその日その時だけしかないものなので、特に大切にしたいと思っています。
秋葉山表参道は、本当にクセがなく歩きやすい登山道です。
この日も多くの方が来られ、下山時に挨拶を交わした女性二人組は静岡からでした。
ふるさと浜松の誇るべき自然のひとつです。
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2016/12/29
当日スタート地点となる「秋葉山表参道駐車場」に到着した際は、霧がかかって視界が悪く、意気揚々にという感じにはなりませんでした。
しかし、準備をしている間に視界も開け、これなら大丈夫と出発しました。
画像クリックで拡大
今回は、NPO法人秋葉街道ツーリズムが発行する「表参道を往く 秋葉街道」という小冊子を資料にお伝えします。(道の駅などで300円で購入可能)
駐車場を出て左、最初の分岐点に東海自然歩道の道標があります。
表参道は東海自然歩道も兼ねています。
秋葉山山頂の秋葉神社上社まで4.2km、120分と書かれています。
これはあくまで目安です。
私などは歩くのが遅いので2時間は毎回超えています。
ハイキングはトレランとは違うので時間を競い合ったり気にするのは馬鹿げていると思います。
ゆっくり歩くからこそ発見できることも多くあるのです。
それも山歩きの楽しみなのです。
今回は、参道の道標として一定距離毎(1町=109m)に建てられた「町石・丁石(ちょういし)」や、かって夜の参拝時に灯りを照らしていたという「常夜灯」などを紹介していこうと思います。
上り坂の始点となる、赤色が印象的な「九里橋」の手前にあるのは、神社と名が入っています。
これは町石とは違うようで、町石には「金」や「傘」に似た字が刻まれています。
資料によると、現在残っているのは9基(3・4・5・6・13・14・18・19・20)ということで、順に見せていこうと思います。
「第三町」は、九里橋から東屋のある休憩所まで上がる石畳の急坂の上方、道の右側にあります。
「第四町」は、東屋から左に曲がって民家裏の階段につながる石畳の坂道の途中、道の左側、常夜灯と並んでいます。
「第五町」も存在するそうなのですが、撮影もれのようです。
(※ 下記記事で確認しました)
秋葉寺の「秋葉三尺坊大権現出現霊場」の大きな案内板、とりわけ大きな常夜灯がある所が「5町目」であり、「三の鳥居跡」にもなっています。
この地点は「海抜160米」、秋葉神社上社まで3.6km、115分です。
最初の分岐点からここまで、わずか5分で歩くのは相当大変だと思います。
のんびりいきましょう。
少し鳥居の話で脱線します。
「第三の鳥居」と聞けば、始めの第一・第二があり、続きの第四・第五もあると思いますよね。
その通りなのです。
現在の秋葉山表参道では、この第三の鳥居が最初の鳥居なのですが、昔は東海道の浜松田町が参道の起点で、そこが「一の鳥居」、そして「二の鳥居」は、浜松健康院の近く、浜北区小松(二俣街道・小松東町交差点)にあるのです。
これも何かの縁でしょうか!
(※ 浜松健康院はH18に高丘西へ移転しました)
「第六町」に戻ります。
「第十三町」目は「もみじ茶屋跡」で、その手前にある常夜灯が、天竜川の治水で知られる金原明善の父が建てたと説明されています。
町石自体はわかりませんので、次回しっかり見てきます。
(※ 下記記事で確認しました)
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「第十四町」のものは形状も違い、かなり古いものと思われます。
「第十八町」は「十八丁茶屋」があった場所です。
当時は茶屋がたくさんあり、茶屋のある場所は傾斜がなく緩やかな場所で、今も休憩場所に適しています。
常夜灯の左にある仏石の背面に十八町目と刻まれているそうです。
これも次回確認しなくては。
十四町目の町石と共に、最も古いものだそうです。
「第十九町」となる場所は、町石ではなく常夜灯がありました。
最後の残っている町石、「第二十町」は「富士見茶屋跡」前にあるものだと思った(画像左下)のですが、富士見茶屋は第二十八町に当たる建物です。
また、現地にある説明板では第三十町目と書かれています。
このあたり、よくわかりません。
(※ 資料によると、さくら茶屋も富士見茶屋と呼ばれていたことがあるとか)
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富士見茶屋跡の少し手前には「さくら茶屋跡」があります。
また、少し過ぎた地点では、秋葉神社上社まで残り2.1km、55分との道標があります。
ここが中間地点と考えて良いですね。
すぐに「四の鳥居跡」(三十町目)を通過します。
その間、木々の間から幻想的な雲海が見えました。
「子安地蔵尊」(三十二町目)を過ぎると富士山展望のできる休憩所(三十三町目)で、海抜580米です。
雲海と富士山の画像をお楽しみください。
電線が入るのはこの地点に鉄塔が建っているためです。
画像クリックで拡大
「信玄岩」(三十七町目)を過ぎると、秋葉山表参道で唯一の短い下り坂があり、尾根沿いの道が再び上りに入ります。
左右は切り立った谷になっていて、左側が「権現谷」、右側が「信玄谷」となっています。
秋葉寺まで続く坂道は「土佐(阿波)坂」で、土佐の殿様が参拝の折、旧道が急坂の為に現在の参道に替えたものです。
わかりにくいかもしれませんが、中央の木の左側に踏み跡があるのが今回ははっきりわかったので、旧道の土佐坂に挑戦してみました。
殿様が嫌がったのがよーくわかる程の急登を赤テープと踏み跡を探しながら上り、右側にトレースしていく形で進むとバリケードがありました。
それを右に巻いて進むと、右側に現在の参道、前方に秋葉寺(第五十町目)の山門(第四十九町目)が見えてきました。
迂回して反対側から撮影
出て来た所を反対側から撮影
草木が覆い茂る時期はちょっと侵入をためらうような旧道ですが、今の時期なら何とか通過できると思います。
「五の鳥居跡」を過ぎれば、秋葉神社はもうすぐそこ、最後のがんばりどころです。
五の鳥居跡
神門
黄金の幸福の鳥居からの展望
お気づきの方もいるかもしれませんが、「秋葉寺」「秋葉神社」の画像は少なくしています。
それらは他サイトでいくらでも見ることができるからです。
できるだけ違った視点で紹介していきたいと思っています。
特に展望画像は、気候によりその日その時だけしかないものなので、特に大切にしたいと思っています。
秋葉山表参道は、本当にクセがなく歩きやすい登山道です。
この日も多くの方が来られ、下山時に挨拶を交わした女性二人組は静岡からでした。
ふるさと浜松の誇るべき自然のひとつです。