3月6日(水)にグレートトラバースの東海地区交流会が磐田市の醍醐荘で行われ参加してきました。
グレートトラバースとは、NHKで放送されている「日本3百名山ひと筆書き-グレートトラバース3」という番組で、プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、鹿児島県屋久島から北海道利尻島まで、陸路はすべて徒歩とスキー、水路はシーカヤックとパックラフトで日本百名山・日本二百名山・日本三百名山を繋ぐ人力旅を追ったドキュメント番組です。
既に2014年「日本百名山ひと筆書き~Great Traverse~」7,800kmの旅を208日と11時間で達成、2015年には「日本2百名山ひと筆書き~Great Traverse2~」約8,000kmの旅を222日で達成しています。
現在は、1年半以上かけて日本三百名山に選定されている全301座を一度に南から北へ踏破する「グレートトラバース3日本三百名山ひと筆書き」に2018年から挑戦中です。
詳細はNHKで放送される番組やHPを是非ご覧ください。
「百聞は一見にしかず」で、私たちが簡単にいけないアルプスなどの高山や厳しい道のり、素晴らしい景色を、田中陽希さんと共に見ることができます。
その旅の途中に各地で交流会が開催され、田中陽希さんから旅の様子などの話を直接聞くことができるのです。
これは滅多にない貴重な機会だと思い、急遽参加申し込みをして磐田市内の会場まで出かけた次第です。

激しい雨の中、大渋滞の浜松市内を通り抜け、15分遅れで会場に入ると既に話が始まっていて、定員300名の席はほぼ埋まっていました。
登山やハイキング、トレランなど、アウトドアスポーツの人気の高さが伺い知れました。
画像は、交流会が終わって会場から出る際に、田中陽希さんが一人ずつ握手対応されて、希望者はスタッフが2ショット撮影をしてくれたので、私も記念にお願いしたものです。
陽希さん自身もそうですが、マネージャーの方、スタッフの方々が非常にきめ細かく動いてくださってることを感じました。
本当に参加して良かったなと思いました。
ありがとうございました。
その中で印象に残った話を覚えている限りご紹介したいと思います。
日本3百名山ひと筆書きと言いますが、3百名山に入っていない山も登っていて、特に3回目となる今回は時間や距離などをあまり気にせずに、なるべくいろいろな所に寄るようにしているということでした。
静岡県に入ってからも、SNSを見るとわかるのですが、日本平に登っていたり、蓬莱橋が工事中のため徒歩で大井川を横断したりしています。
そういう姿が親近感を感じさせてくれるのだと思います。

ちなみに、これから向かう先は公開されていません。
これは、2百名山のときにGPSでリアルタイムで居場所を明らかにしたときに、陽希さんに会おうとする人が殺到したりして危険を感じたことがあったためです。
陽希さんを見つけた車のドライバーに轢かれそうなったエピソードなど、おもしろおかしく話してくれました。
奇しくも、スーパーボランティアの尾畠さんが、東京から自宅の大分まで歩いて帰ろうとしていたのを、あまりに人が集まり過ぎて危険を感じたために断念したのと同じなわけで、話の中でも取り上げていました。
メディアで取り上げられると、一目会いたいと殺到して押しかけてしまうことが多いようですが、応援の仕方が間違えているのではないかという問題提起もありました。
握手やサインを求めたり、一緒に写真を撮ってもらうことが応援ではないと私も思います。

質問コーナーでは、8歳にして百名山を登っているお子さんから「今まで登った山で一番好きな山はどこですか」という質問を受けていました。
この答えが意外というか、私はとても好感が持てて良いなあと思いました。
まず、一つ一つの山をそれぞれ登っているわけではなく、ひと筆書きで全て繋がって歩き続けるため、どの山という観点がなく決められないと言い、あえて挙げるなら、自分が最初に登った「ふるさとの山」だと答えたのです。
北海道の富良野で、街からいつも見上げていた山に登ったとき、山頂から逆に自分の家が見えた感動を今でも覚えていて、それが全ての始まりになったといいます。
3百名山を歩き回る人が、3百名山に入っていない自分のふるさとの山が一番だと言う、なんて素敵なことでしょう。
また、陽希さんが百名山に初めて登ったのは18歳のときであり、8歳で登る子もいれば中高年になって登り始める人もいる。
山の登り方も、同じ山を何万回も繰り返して登る人もいたりで、全部人それぞれでいいんですよという話もしていました。

私なんて百名山の1座も登ったことがないわけで、これからも機会がない可能性が高いわけです。
それでも山歩きが好きで、毎週どこかしら歩き続けているわけで、それに対して何も卑屈になったり卑下したりすることないんだなって、勝手に解釈してしまいました。
苦労して登頂しても悪天候で展望が全くないときでも、「残念」という言葉は使わないように注意しているそうです。
これもとても共感できました。
展望だけを目的に登山しているわけではなく、その道程に様々な感動や楽しみがあるはずです。
その自然、道、自分の身体、全てにドラマがあり、全てが山行であり、全てに感謝したい気持ちがあれば「残念」なんて言葉は出てこないと思います。
サスガです。

この他にも、「差し入れ」の意味、苦労した登山道のない山の話、ヒグマの特性、装備の話、マネージャーとの荷物のやりとり方法、津軽海峡横断や富士山登頂日程、身体のケア方法などなど、非常に興味深い話をたくさん聞くことができました。
じゃんけん大会では様々なグッズプレゼントが用意されていましたが、私は全然勝ち残れませんでした。
陽希さんを囲んで会場全体で記念撮影会も行われ、和気あいあいで盛り上がって終了となりました。
これだけ多くの人が集まるのも、やはり陽希さんの人柄があってのことなんだなってよくわかりました。
それは画面からも十分に伝わっていましたし、見ていて飽きることはありません。
今後のSNS・グレートトラバース放送での陽希さんの活躍に、更に注目していこうと思います。
グレートトラバースとは、NHKで放送されている「日本3百名山ひと筆書き-グレートトラバース3」という番組で、プロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、鹿児島県屋久島から北海道利尻島まで、陸路はすべて徒歩とスキー、水路はシーカヤックとパックラフトで日本百名山・日本二百名山・日本三百名山を繋ぐ人力旅を追ったドキュメント番組です。
既に2014年「日本百名山ひと筆書き~Great Traverse~」7,800kmの旅を208日と11時間で達成、2015年には「日本2百名山ひと筆書き~Great Traverse2~」約8,000kmの旅を222日で達成しています。
現在は、1年半以上かけて日本三百名山に選定されている全301座を一度に南から北へ踏破する「グレートトラバース3日本三百名山ひと筆書き」に2018年から挑戦中です。
詳細はNHKで放送される番組やHPを是非ご覧ください。
「百聞は一見にしかず」で、私たちが簡単にいけないアルプスなどの高山や厳しい道のり、素晴らしい景色を、田中陽希さんと共に見ることができます。
その旅の途中に各地で交流会が開催され、田中陽希さんから旅の様子などの話を直接聞くことができるのです。
これは滅多にない貴重な機会だと思い、急遽参加申し込みをして磐田市内の会場まで出かけた次第です。
弾ける笑顔の田中陽希さん(右)と記念撮影
激しい雨の中、大渋滞の浜松市内を通り抜け、15分遅れで会場に入ると既に話が始まっていて、定員300名の席はほぼ埋まっていました。
登山やハイキング、トレランなど、アウトドアスポーツの人気の高さが伺い知れました。
画像は、交流会が終わって会場から出る際に、田中陽希さんが一人ずつ握手対応されて、希望者はスタッフが2ショット撮影をしてくれたので、私も記念にお願いしたものです。
陽希さん自身もそうですが、マネージャーの方、スタッフの方々が非常にきめ細かく動いてくださってることを感じました。
本当に参加して良かったなと思いました。
ありがとうございました。
その中で印象に残った話を覚えている限りご紹介したいと思います。
日本3百名山ひと筆書きと言いますが、3百名山に入っていない山も登っていて、特に3回目となる今回は時間や距離などをあまり気にせずに、なるべくいろいろな所に寄るようにしているということでした。
静岡県に入ってからも、SNSを見るとわかるのですが、日本平に登っていたり、蓬莱橋が工事中のため徒歩で大井川を横断したりしています。
そういう姿が親近感を感じさせてくれるのだと思います。
ちなみに、これから向かう先は公開されていません。
これは、2百名山のときにGPSでリアルタイムで居場所を明らかにしたときに、陽希さんに会おうとする人が殺到したりして危険を感じたことがあったためです。
陽希さんを見つけた車のドライバーに轢かれそうなったエピソードなど、おもしろおかしく話してくれました。
奇しくも、スーパーボランティアの尾畠さんが、東京から自宅の大分まで歩いて帰ろうとしていたのを、あまりに人が集まり過ぎて危険を感じたために断念したのと同じなわけで、話の中でも取り上げていました。
メディアで取り上げられると、一目会いたいと殺到して押しかけてしまうことが多いようですが、応援の仕方が間違えているのではないかという問題提起もありました。
握手やサインを求めたり、一緒に写真を撮ってもらうことが応援ではないと私も思います。
質問コーナーでは、8歳にして百名山を登っているお子さんから「今まで登った山で一番好きな山はどこですか」という質問を受けていました。
この答えが意外というか、私はとても好感が持てて良いなあと思いました。
まず、一つ一つの山をそれぞれ登っているわけではなく、ひと筆書きで全て繋がって歩き続けるため、どの山という観点がなく決められないと言い、あえて挙げるなら、自分が最初に登った「ふるさとの山」だと答えたのです。
北海道の富良野で、街からいつも見上げていた山に登ったとき、山頂から逆に自分の家が見えた感動を今でも覚えていて、それが全ての始まりになったといいます。
3百名山を歩き回る人が、3百名山に入っていない自分のふるさとの山が一番だと言う、なんて素敵なことでしょう。
また、陽希さんが百名山に初めて登ったのは18歳のときであり、8歳で登る子もいれば中高年になって登り始める人もいる。
山の登り方も、同じ山を何万回も繰り返して登る人もいたりで、全部人それぞれでいいんですよという話もしていました。
私なんて百名山の1座も登ったことがないわけで、これからも機会がない可能性が高いわけです。
それでも山歩きが好きで、毎週どこかしら歩き続けているわけで、それに対して何も卑屈になったり卑下したりすることないんだなって、勝手に解釈してしまいました。
苦労して登頂しても悪天候で展望が全くないときでも、「残念」という言葉は使わないように注意しているそうです。
これもとても共感できました。
展望だけを目的に登山しているわけではなく、その道程に様々な感動や楽しみがあるはずです。
その自然、道、自分の身体、全てにドラマがあり、全てが山行であり、全てに感謝したい気持ちがあれば「残念」なんて言葉は出てこないと思います。
サスガです。
この他にも、「差し入れ」の意味、苦労した登山道のない山の話、ヒグマの特性、装備の話、マネージャーとの荷物のやりとり方法、津軽海峡横断や富士山登頂日程、身体のケア方法などなど、非常に興味深い話をたくさん聞くことができました。
じゃんけん大会では様々なグッズプレゼントが用意されていましたが、私は全然勝ち残れませんでした。
陽希さんを囲んで会場全体で記念撮影会も行われ、和気あいあいで盛り上がって終了となりました。
これだけ多くの人が集まるのも、やはり陽希さんの人柄があってのことなんだなってよくわかりました。
それは画面からも十分に伝わっていましたし、見ていて飽きることはありません。
今後のSNS・グレートトラバース放送での陽希さんの活躍に、更に注目していこうと思います。