光明山にあった光明寺跡「光明山遺跡」を前回紹介させていただきましたが、今回は光明山から移された現在の光明寺を訪れて歩いてきました。
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(※ GPSの記録は下記記事をご参照ください)

カーナビが普及しているので(自分は未装備)細かい道案内は省略しますが、裏通りの細い道と複雑に入り組んだ交差点の場所なので、通行の際は十分安全運転でお願いします。
画像の大きな案内板の向こうが駐車場になっていますが、ここは地域の方の月極駐車場であり、光明寺の駐車場ではありませんので利用しないように注意してください。
右手に伸びる坂道(舗装路)を上がると「光明山古墳」があり、その周辺の空き地(1周できます)に車を停めさせてもらいました。

案内図の「現在地」は、冒頭の「名刹遠州光明山」の看板のあるところです。

「光明山古墳」へ上がる坂道の途中にお地蔵さんがたくさんいます。
これらも光明山から移されたのだと思います。
画像の石碑には「奥之院 是ヨリ五十丁」と書かれていますが、ここから先に「丁石」はありません。

「光明山古墳」石碑の反対側、車道から「光明寺」へ上がる階段です。

階段の右側には、「從是光明山道」ここより光明山の道と書かれた石碑があります。


石段の上り口には「女厄除け坂」と書かれていて、途中から「男厄除け坂」に変わります。

石段を登りきると、正面に一本杉で作られた日本一の大黒様が祀られている「大黒殿」があります。
その左手にあるのが「光明殿」、上空に横切る電線の向こうには、かすかに「奥の院:魔利支天堂」が見えます。

左手にある「手水舎」と、その向こうにあるのが「稲荷堂」です。

境内の中央にある新しい石柱には、光明寺に祀られている名前の一覧が掘られています。

こちらの説明板がわかりやすいです。

この石碑には、「昭和14年4月30日 心身軽快早朝をふみしめて立った光明山参拝。祭神は魔利支天、近く山奥から人里近くお出ましになったらしい。それも時代のせいだ。豚の石像は珍しかった(猪?だろう) 山のよさもみずのうまさを からだいっぱい 道しるべ 立たせたもふは 南無地蔵尊」と書かれています。
昭和6年の火災でこちらに移転してきたことを言ってるようです。
水のうまさ、は水の神様である光明山との関連も匂わせます。

「光明殿」の少し開かれた扉から、「魔利支真天」と書かれた提灯が見えます。

山上の「奥の院」へは、この「光明殿」の左わきから進みます。


墓地の前に立つ観音様から右手に進むと、一段高い所に「三満殿」があり、三満虚空蔵菩薩が祀られていますが見ることはできません。

「奥の院」への山道は墓地を左に巻く形で始まります。



名もない低山、裏山感覚となめてかかると痛い目に合う本格的な山道です。


山道と格闘すること10~15分で「魔利支天堂」に到着します。
この建物が、光明山遺跡の奥の院跡に、このままの形であった(火災から免れた)ということに歴史ロマンを感じます。


「魔利支天堂」からの展望は天竜の町並みを見下ろせて見事です。
遠くアクトタワーも見えます。


とても珍しいと思うイノシシの狛犬です。
先程の石碑に書かれていた「豚(猪)の石像」がこれです。
さらに山道は右のイノシシの奥から上に登っていきます。

上のステージは、三つの祠が向かい合っています。
中央のお不動様が「魔利支天」でしょうか?

境内中央の石柱に書かれていた「正一位光明笠鋒坊大権現」がこの石像なのだそうです。
笠鋒坊というのは、秋葉山の「三尺坊」、春埜山の「太白坊」と同じように天狗を示しています。
天狗を研究されている方のサイトに詳しく書かれていました。

山頂まであと少し、がんばりどころです。

山頂には展望台がありますが、木々が邪魔で展望はイマイチです。
魔利支天堂からの方が素晴らしいので画像は省略します。

山頂西側に、柵の切れ目から山道が続いています。
「(旧天竜市)市民の森ハイキングコース」が続いているのです。


低山にはありがちな激しいアップダウンのコースで、磐田の獅子ヶ鼻トレッキングコースや奥浜名湖自然歩道の細江コースと似ていると感じました。
健脚コースと一般コースと選ぶ箇所もあります。
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階段を下りて、ピークを左に巻いて迂回するような形をとりコル(峠のような所)に出ます。

その場が分岐点になっていて、画像の道標は「大谷・船明方面」を指し(左)、ピークにステンレスパイプ製のハシゴがかけられています。
逆方向(右)は「見はらし台」と書かれ、迂回したピークへの急登です。


横板を付け忘れたかのようなこの階段というかハシゴ。
目がおかしくなりそうで、現地では恐怖以外ありませんでした。
一歩一歩踏みしめながらゆっくり登りました。
ステンレス製のパイプがまた冷たいこと。

苦労して登ったピークからは「船明ダム」が見えました。
この先も激下りでコースが続いていましたが、このあとの用事もありここで引き返します。
もちろんハシゴは慎重に、びびりながらゆっくり降りました。
こういうのが本当にダメになりました。
光明寺まで戻って往復約1時間半、短時間ながら濃密なハイキングができました。
歩数計は4619歩でした。
この「天竜区・市民の森ハイキングコース」全貌は、「低山日和」というブログ内に詳細に紹介されていました。
保存版のコース地形図があるので参考にすると良いです。
廃線となった「光明電気鉄道」がこの山の下を通過する予定だったそうで、そのトンネル跡が残っていたり、コース入口に神社があったりして、まだまだ見所の多いこの地域は、もっと時間をかけて全部歩いてみようと思います。
例によって、日本一の大黒様の画像や詳細を省略させてもらいました。
こちらは他サイトで多く取り扱われていますので、そちらをご覧下さい。
「光明山遺跡」と併せて、現在の「光明寺」と「市民の森ハイキングコース」を、是非探訪していただきたいです。
その際は、しっかりとした装備を忘れずにお願いします。
地元の身近な所に、素晴らしい自然と歴史が残されています。

前方後円墳が天竜の街中にあるなんて知りませんでした。
浜松市のサイトには、上空から撮影された画像があり、その形状がよくわかります。

画像は光明山古墳の西側で、この先に進むと広い空き地(未舗装)になっています。
冒頭の「名刹遠州光明山」の看板のある所と歩道で行き来できるようになっています。
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2017/02/23
(※ GPSの記録は下記記事をご参照ください)
カーナビが普及しているので(自分は未装備)細かい道案内は省略しますが、裏通りの細い道と複雑に入り組んだ交差点の場所なので、通行の際は十分安全運転でお願いします。
画像の大きな案内板の向こうが駐車場になっていますが、ここは地域の方の月極駐車場であり、光明寺の駐車場ではありませんので利用しないように注意してください。
右手に伸びる坂道(舗装路)を上がると「光明山古墳」があり、その周辺の空き地(1周できます)に車を停めさせてもらいました。
画像クリックで拡大
案内図の「現在地」は、冒頭の「名刹遠州光明山」の看板のあるところです。
「光明山古墳」へ上がる坂道の途中にお地蔵さんがたくさんいます。
これらも光明山から移されたのだと思います。
画像の石碑には「奥之院 是ヨリ五十丁」と書かれていますが、ここから先に「丁石」はありません。
「光明山古墳」石碑の反対側、車道から「光明寺」へ上がる階段です。
階段の右側には、「從是光明山道」ここより光明山の道と書かれた石碑があります。
石段の上り口には「女厄除け坂」と書かれていて、途中から「男厄除け坂」に変わります。
石段を登りきると、正面に一本杉で作られた日本一の大黒様が祀られている「大黒殿」があります。
その左手にあるのが「光明殿」、上空に横切る電線の向こうには、かすかに「奥の院:魔利支天堂」が見えます。
左手にある「手水舎」と、その向こうにあるのが「稲荷堂」です。
境内の中央にある新しい石柱には、光明寺に祀られている名前の一覧が掘られています。
画像クリックで拡大
こちらの説明板がわかりやすいです。
この石碑には、「昭和14年4月30日 心身軽快早朝をふみしめて立った光明山参拝。祭神は魔利支天、近く山奥から人里近くお出ましになったらしい。それも時代のせいだ。豚の石像は珍しかった(猪?だろう) 山のよさもみずのうまさを からだいっぱい 道しるべ 立たせたもふは 南無地蔵尊」と書かれています。
昭和6年の火災でこちらに移転してきたことを言ってるようです。
水のうまさ、は水の神様である光明山との関連も匂わせます。
「光明殿」の少し開かれた扉から、「魔利支真天」と書かれた提灯が見えます。
山上の「奥の院」へは、この「光明殿」の左わきから進みます。
墓地の前に立つ観音様から右手に進むと、一段高い所に「三満殿」があり、三満虚空蔵菩薩が祀られていますが見ることはできません。
「奥の院」への山道は墓地を左に巻く形で始まります。
名もない低山、裏山感覚となめてかかると痛い目に合う本格的な山道です。
山道と格闘すること10~15分で「魔利支天堂」に到着します。
この建物が、光明山遺跡の奥の院跡に、このままの形であった(火災から免れた)ということに歴史ロマンを感じます。
「魔利支天堂」からの展望は天竜の町並みを見下ろせて見事です。
遠くアクトタワーも見えます。
とても珍しいと思うイノシシの狛犬です。
先程の石碑に書かれていた「豚(猪)の石像」がこれです。
さらに山道は右のイノシシの奥から上に登っていきます。
上のステージは、三つの祠が向かい合っています。
中央のお不動様が「魔利支天」でしょうか?
境内中央の石柱に書かれていた「正一位光明笠鋒坊大権現」がこの石像なのだそうです。
笠鋒坊というのは、秋葉山の「三尺坊」、春埜山の「太白坊」と同じように天狗を示しています。
天狗を研究されている方のサイトに詳しく書かれていました。
山頂まであと少し、がんばりどころです。
山頂には展望台がありますが、木々が邪魔で展望はイマイチです。
魔利支天堂からの方が素晴らしいので画像は省略します。
山頂西側に、柵の切れ目から山道が続いています。
「(旧天竜市)市民の森ハイキングコース」が続いているのです。
低山にはありがちな激しいアップダウンのコースで、磐田の獅子ヶ鼻トレッキングコースや奥浜名湖自然歩道の細江コースと似ていると感じました。
健脚コースと一般コースと選ぶ箇所もあります。
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2017/01/05
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2016/12/15
ルートがわかるかな?
恐怖さえ感じる激下り
右下は深い谷底です
階段を下りて、ピークを左に巻いて迂回するような形をとりコル(峠のような所)に出ます。
その場が分岐点になっていて、画像の道標は「大谷・船明方面」を指し(左)、ピークにステンレスパイプ製のハシゴがかけられています。
逆方向(右)は「見はらし台」と書かれ、迂回したピークへの急登です。
見はらし台からの展望
空へと続くハシゴ?
横板を付け忘れたかのようなこの階段というかハシゴ。
目がおかしくなりそうで、現地では恐怖以外ありませんでした。
一歩一歩踏みしめながらゆっくり登りました。
ステンレス製のパイプがまた冷たいこと。
画像クリックで拡大
苦労して登ったピークからは「船明ダム」が見えました。
この先も激下りでコースが続いていましたが、このあとの用事もありここで引き返します。
もちろんハシゴは慎重に、びびりながらゆっくり降りました。
こういうのが本当にダメになりました。
光明寺まで戻って往復約1時間半、短時間ながら濃密なハイキングができました。
歩数計は4619歩でした。
この「天竜区・市民の森ハイキングコース」全貌は、「低山日和」というブログ内に詳細に紹介されていました。
保存版のコース地形図があるので参考にすると良いです。
廃線となった「光明電気鉄道」がこの山の下を通過する予定だったそうで、そのトンネル跡が残っていたり、コース入口に神社があったりして、まだまだ見所の多いこの地域は、もっと時間をかけて全部歩いてみようと思います。
例によって、日本一の大黒様の画像や詳細を省略させてもらいました。
こちらは他サイトで多く取り扱われていますので、そちらをご覧下さい。
「光明山遺跡」と併せて、現在の「光明寺」と「市民の森ハイキングコース」を、是非探訪していただきたいです。
その際は、しっかりとした装備を忘れずにお願いします。
地元の身近な所に、素晴らしい自然と歴史が残されています。
前方後円墳が天竜の街中にあるなんて知りませんでした。
浜松市のサイトには、上空から撮影された画像があり、その形状がよくわかります。
画像は光明山古墳の西側で、この先に進むと広い空き地(未舗装)になっています。
冒頭の「名刹遠州光明山」の看板のある所と歩道で行き来できるようになっています。