天竜の
光明山(こうみょうさん)には、かって繁栄した光明寺伽藍と戦国時代の城址の名残を感じさせる
「光明山遺跡」があります。
光明山遺跡の石垣の階段を登る
GPS記録コース図:右上クリックで拡大
光明山遺跡へは様々なルートがありますが、2月に「横川古道」で登り「横川お目たで池古道」で下り、3月には「麓橋古道」を往復しています。
今回は、町石が多く残っている
「横川古道」を再び登り、光明山遺跡を全て周回してから、初めての
「只木古道」で下山します。
スタート・ゴール地点は、
道の駅「いっぷく処横川」の駐車場です。
ルートや光明山遺跡については、GPSによる記録のコース図や前回の記事を参照していただければと思います。
「よみがえれ秋葉古道」というサイトには、秋葉山はもちろん、光明山についても詳しく紹介されており、地図もダウンロードできます。
光明山は、秋葉山が火の神様に対して水の神様であり、どちらも参拝する「両詣り」「ついで詣り」され、森町の春埜山も含めて
「遠州三山」として地域の人はもとより、全国から多くの人が訪れていました。
ふるさとの貴重な歴史的自然遺産だと私は思います。
「新・浜松の自然100選」の展望を楽しむ
アクトタワーや水平線まで最高の景色:画像クリックで拡大
光明山遺跡の中で、
「光明寺歴代住職の墓」や
「方神塚」などを訪れる人は少ないようで、そのルートは荒れ放題で、いずれ廃道となってしまいそうです。
「五人塚」もそうですが、早い話がお墓なので気味悪いイメージで遠ざけられているのでしょうか。
かっては多くのエリア・遊歩道コースがあった:画像クリックで拡大
一番の見所は前述の光明山遺跡からの展望ですが、次に北の奥地にある
「奥の院跡」と
「鏡石」があります。
「奥の院」跡地には、現在は二俣にある
「光明寺」の山上に再建された、奥の院
「魔利支真天」がかってそこに存在していたことにロマンを感じます。
昭和6年の火災で光明寺は焼失しましたが、唯一火災を逃れた奥の院がそのまま移されたのです。
画像クリックで奥の院・魔利支真天が現れます
「鏡石」は、鏡のように太陽の光を反射させて、海洋上の船の灯台の役目を果たしていたという逸話があります。
森町の「歴史の散歩道」道中にもあります。
鏡石は「家康隠れ岩」とも言われます
自分も隠れてみました!
上の画像の案内板から、撮影場所の「隠れ岩」に下りる所は危険なので注意が必要です。
当然戻るのも大変です。
光明山山頂は539.7m 三角点もあります
最も一般的なルートで、道の駅から多くの人が利用している
「横川古道」の特徴は、町石がたくさん残っていることです。
22丁目の町石と傾いた観音様の前で
炭焼き跡も見られます
横川古道の途中で展望が開ける
足元を見ると怖いけど眺めは最高
木橋を渡る
上の画像の木橋は、山頂下の巻道コースの中ほどにあるものです。
このルートも利用する人が少なく、山肌がどんどん崩れているのがわかります。
光明山の西ルート
「佐久古道」の出入り口を確認し、
「麓橋古道」の鳥居跡と町石35丁も確認して、いよいよ
「只木古道」を下ります。
「よみがえれ秋葉古道」のサイトでは上級者向けとありましたが、とても歩きやすく、一気に駆け下りてしまいました。
只木古道は何も問題なく歩きやすかった
問題は、下山してから道の駅に戻るルートです。
左に入らなければならなかった所を真っ直ぐ行ってしまい、道がなくなってしまったのですが、車の音が聞こえ車道が近いことがわかり、道なき所を突破してしまいました。
かなりの遠回りをしたことになり、大きく時間ロスしてしまったのです。
この辺りのルートは、近いうちにしっかりと確認して、きれいに周回できるようにしたいと思います。
GPSの記録も、道の駅から東に大きく飛び出していたり、車道からずれていたりと、今ひとつ正確ではありません。
道の駅から登山道入口まではA~Bの付け加えた経路が正しいものです。
とりあえずのデータですが、
総距離が約18km、約6時間で、歩数計は26.488でした。
まだ歩いたことのない、
「稚児の滝」からの
「佐久古道」、
「秀珍林道」のルートは来年是非紹介したいと思います。
(2018年12月に稚児の滝ルートで登りました)
地図読みももっと落ち着いて解読できるようにならないといけません。
経験を重ねても勉強は続きます。